2007年2月11日日曜日

海軍『誰にも言えなかったんです』

 上手くいった、成功したと報告した後、実はそれがかなり失敗だったことを知り、なかなか言い出せない内に事はドンドン進んでますます言い出しにくくなった。結果として最後に失敗したことを告げたが最悪な結果を招いてしまった…ということは誰にでもある事ではないだろうか。

では国家が、軍がそんな失態を招いてしまったらどうなるのか…そんな実例が太平洋戦争中に起きたのだ。

1944年十月、W・ハルゼー大将率いる第38機動部隊が台湾を襲った。十隻以上の空母を基幹とするこの艦隊は、マリアナ海戦後いかなる海上に存在するどの国の艦隊をも遥かに凌ぐ最強の打撃力と防御力を持った艦隊であった。

その際日本海軍では、かねてから日本近海での決戦を想定した大規模な航空隊を南九州や台湾に展開、その時を待っていた。その数は優に三百機を越えていた。そして十月十二日、日本は十五日までの約三日間に渡る航空機による攻撃をアメリカの艦隊に対して連続的に行った。

日本にとって、この攻撃は海軍だけでなく陸軍の航空隊も参加しての、文字通り『総力をかけた』戦いであった。

日本側では連日の攻撃で帰還後に報告される戦果は華々しいもので、それを総計するとアメリカの第38機動部隊は空母を全て失い、ほうほうの体で逃げ帰っているものと判断された。そしてその戦果はそのまま国内で大々的に宣伝され、天皇陛下からのご褒めの言葉を戴くなどお祭り騒ぎにまで発展したから大変な事になった。

更に最終日の十五日、それを裏書きする様に残敵と思われるアメリカの巡洋艦と少数の護衛艦船を日本近海で発見。日本海軍では直ちに『残敵掃討』を発令したが、翌日再びアメリカの機動部隊が日本近海に存在していたという報告を受けて追撃を中止した。

問題はここからである。海軍は正式に陸軍にこの事を知らせていなかった。

つまり言えなかったのだ。

海軍としては、陸軍ともに多数の犠牲を出し、更に国内でお祭り騒ぎにまで発展したこの戦果が実は誤りでしたとは、おいそれとは言えなかったというのだ。

原因はパイロットの能力不足や偵察能力の不備と、戦果確認を徹底して怠ったためだが、それは後々判明した事である。

しかし陸軍ではその戦果を元にフィリピンでの決戦を企てていて、兵力の転用や輸送、更には作戦を実行に移してしまっていたから目も当てられないこれから起こる悲劇の結末は自ずと明らかだった。
それは明らかに亡国を招いたのである。

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