2011年12月8日木曜日

1941年12月8日

この日は、旧大日本帝国海軍がアメリカの真珠湾を奇襲した日である。同時に、フィリピンなどへの侵攻作戦を開始した日でもあった。

海軍にとって大いなる誤算であったのは、真珠湾には当時空母が1隻もいなかったということだった。これは、以降の海戦においてアメリカの既存空母が十二分の働きをしていたことからも明らかであった。アメリカ海軍太平洋艦隊の主力であった戦艦部隊を壊滅に追い込むことは出来たものの、探し求めていた空母はいなかったのである。

…といえば聞こえがいいだろうか。おそらく、当時の日本海軍ではそんな風に考えている幕僚や指揮官は少なかったはずである。ミッドウェイ海戦以降の時と違って、あれほど事前の情報収集に力を入れていた状態でさえ、「標的としていた」空母の所在をつかめないまま攻撃を行ったのはおかしな話になるからだ。要は、空母なんて最初からたいした目標ではなかったのである。目標は大艦巨砲主義の象徴たる戦艦部隊であった。

当時、太平洋方面で作戦中だったのは空母エンタープライズを中心としたW・ハルゼー中将麾下の機動部隊であった。この部隊はウェーク島への輸送に従事していたようであったが、運良く日本海軍の攻撃を逃れていたのである。それ以外の空母はアメリカ本土などにいた。ここでもし、アメリカの空母が1隻ないし2隻でも損害に遭っていたとしたら、反攻作戦の開始は少なくとも2年は遅れていたはずである。ハワイ諸島も日本軍に取られていたかもしれない。アメリカの空母はそれほど重要な存在であり、貴重な戦力であったのだった。

アメリカの既存空母は、レキシントン・サラトガ・エンタープライズ・ヨークタウン・ホーネットの5隻であった。後に、アメリカ海軍の太平洋艦隊はワスプの来援を南太平洋方面に受けるが、それまでにレキシントンが南太平洋で撃沈され、ヨークタウン・ホーネットなども撃沈された。ワスプ自身もすぐさま同じ運命をたどった。サラトガも損害を受けてまともに諸作戦には参加できていない。唯一、多くの海域で作戦可能だったのはエンタープライズただ1隻だったのだ。アメリカにとって、1941年~1943年までは、まさに危機的な状況の連続だったわけである。

日本の快進撃は翌年の5月まで続いた。これ以降は「虎の子空母」のうち4隻と、多数の艦載機・搭乗員を海戦で失う結果となり、南太平洋での制海権・制空権を確保することが出来なかったのだった。海戦当時は6隻いた主力の正規空母が、1942年6月以降はたったの2隻しか残らなかったのである。それでも、中型空母2隻と数隻の小型空母を交えて再編された日本艦隊は、主力の大半を失った連合軍にとっては「驚異の的」であった。

しかし、十分な制海権と制空権を取れていない日本軍にとって、ニューギニア方面での押しくらまんじゅう状態は維持するだけで精一杯だった。航空機の生産と輸送が追いつかず、それ以上に航空兵の補充が間に合わなかった。これは当時の日本が相当な背伸びをして戦争をしていたことによる。制度も思想も発展していなかったのだ。
1943年以降、アメリカは続々と本土からの来援を受ける。この年末には中部太平洋方面に新たな空母部隊を創設し、10隻を超えるエセックス級正規空母とインディペンデンス級軽空母、さらに多数の新型戦艦・巡洋艦以下の戦力を整えることが出来ていた。こうして日本は一気に押し切られる形で戦力を削り取られていったのだった。

だが、最も大きく戦力の差が開いたのが情報戦に関するものであった。
新型戦闘機の開発から前線の動きを予測する事に至るまで、日本は「事実を確実につかみ、その上に合理的な判断と実行を行うこと」と、「結果に基づく事実の収集を確実に行い,さらに次の展開を合理的に考えていく」という重要なステップを踏んでいなかったのだった。1942年以降の日本の新型戦闘機の開発は二転三転してなかなか定まることがなく、艦船の開発においても需要的に時期遅れのものが多く、余計に時間と資源ばかりが浪費されてしまった。

これは重要なことである。
この結末が、今年の福島第一原発の状態にまで続いていたと考えたならどうだろうか。日本は情報の収集と生かし方、リスクマネジメントなどの問題を戦後においても学んでいなかった、ということになるからだ。戦後、日本の教育では反戦と反核をまるで洗脳するかのように教えてきていたが、では、戦争とは何か、核とは何かを教えることはなかった。それが震災の大きな人災につながっているのは立派な皮肉である。

1941年12月8日から学ぶことは、まだまだたくさんある。日本はそれを再び見つめ直していかなければならないだろう。

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