2011年12月12日月曜日

ブラックホーク・ダウン

それは、短時間で終了するはずの作戦だった。
1993年10月3日に行われたソマリアの首都における特殊作戦は、完全な失敗であり敗北であった。作戦のコードネームは「アイリーン」。この作戦にはアメリカ陸軍の精鋭部隊が投入されたにも関わらず、さらに、作戦の戦闘ゾーンは「町の一角」に限定されていたにも関わらず、アメリカ軍は作戦の遂行をしくじったのだ。

リドリー・スコット監督作の映画、「ブラックホーク・ダウン」では、この作戦(ソマリアの首都であるモガディシュの戦闘)を実によく描写しているように思えた。wikiにはその経緯が詳細に記載してあるが、私が言いたいのは、戦闘そのものの描写の仕方よりも、登場人物が語る会話の内容に妙なリアリティを感じたのだ。

ソマリアの内戦に関与したアメリカは、ここでソマリアの人々に相当な被害を与えていた。(アメリカ陸軍のデルタやレンジャーが戦闘に参加する以前の)海兵隊がソマリアにいた頃から、ソマリアの人々はアメリカに対して憤りを通り越した恨みの感情を抱いていた。確かに、アメリカ軍が難民救済のために「ある程度の」有効な働きをしたことは間違いのないことだろう。だが、数々の戦闘によってソマリアの人々の多くが殺害された。中には、アメリカ軍に協力しようとしていたソマリアの重要人物でさえ殺された。

だが、それ以上に大きな問題があったのだ。

アメリカの現代における戦争を見渡してみると、太平洋戦争から現代の戦争に至るまで一貫して言えることがある。相手をなめすぎていることと、あまりに一方的な主張・見方が多いことだ。

太平洋戦争の初戦では、彼らの予想に反して日本の攻勢が強力であったために一方的な敗北を蒙った。朝鮮戦争では、北朝鮮軍の攻勢に対して初期の対応をしくじり、初戦を敗北の記録で飾った。中国軍の参戦に関しても余裕をかましていたが、その攻勢によってあっという間に不利な状況に追い込まれた。ベトナム戦争では言うに及ばずである。戦力の逐次投入やテト攻勢前までの余裕っぷりは広く世に知られているとおりである。イラク戦争やアフガニスタン戦では、事後の対応が大幅に甘かった。というより作戦構想そのものが甘かったわけだ。

いずれの戦争の場合でも、アメリカの相手は「ならず者国家」であり、「自由と繁栄の正義国家に敵対する悪の国家」なのであった。

「ブラックホーク・ダウン」のスコット監督は映画の作成と公開をするにあたって、「味方」であるはずの自国政府や軍と戦わなければならなかったはずである。映画では、戦場における兵士たちの英雄的な行為を多く取り上げている。それと同時に、彼らと敵対する民兵組織が「殲滅されるべき」対象であったことを示唆するような表現も入っている。だが、それは監督にとって本意ではなかったようだ。

ソマリアの実業家・アット氏:「(ガリソン)将軍。アメリカはソマリアへ来るべきではなかった。これは我々の戦争なのだ。」
ガリソン少将:「これは戦争などではない。虐殺だ。」
この短いやりとりの中に、アメリカの現状認識に対する錯誤がほのめかされている。本来、戦争には「正義」も「悪」もなければ、「人道的な戦争」や「非道な虐殺」なんていう言葉分けも存在しない。アット氏はその点を突いたわけだが、「映画の中での」ガリソン少将には通じなかった。

これらの立場をさらに補強する上でも別の会話を挙げてみよう。
作戦前の夜、エヴァーズマン軍曹が仲間内に語った話にはこうある。

「彼ら(ソマリアの人々)には自由も教育も不足している。我々に出来ることは二つ。実際に助けに行くか、テレビの前でただそれを観ているかのどっちかだ。」

軍曹の考えは立派なものだったが、そもそも、そうした考え方にソマリアの人々が賛同してくれるかどうかは非常に疑問なのであった。

マイク・デュラント准尉が民兵に捕獲され、捕虜として連行された後に民兵と話をしている場面がある。デュラント准尉に語りかける民兵のリーダーはこう語る。

「アイディード将軍が死んだからといって、この国がよくなると思うか?」

ソマリアの内戦は、利権と権力への欲望が渦巻いているドロドロ状態の派閥争いである。もちろん、部族間の「血で血を争う」殺し合いという面も大きいだろう。こういったことに対して、アメリカの作戦構想はおろか、その大元となる「考え方・発想」そのものが、そうした現状に合っていないことをこの映画では指摘しているのだが、監督の力ではその表現を会話の中でしか行えなかったことに、残念な気持ちがしてならない。この映画はずいぶんと多くのシーンがカットされているように思える。会話の展開が急なところがいくつもあって、不自然に見えるのだ。もちろん脚色もそれなりになされている。

ちなみに、「アイリーン作戦」の展開はWWⅡ時の「マーケット・ガーデン」作戦を想起させるものがある。どちらも作戦の展開は一本道であり、物事が万事うまくいった時のことしか考えていなかった。さらに、味方の貧弱な装備に比べて敵の勢力は優勢だった。そして、そのどちらも「すぐに終わる」はずの作戦であったのだ。

リアル国家であるアメリカの戦争観・国家間に比べたら、架空の世界である「機動戦士ガンダム」のそうしたものに対しての見方の方が、より健全であるとさえ思う。そして、アメリカはそのツケを「ブラックホーク」数機分以上の税金と命で支払い続けているのだ。

2011年12月8日木曜日

一太郎の最新版

来年の2月に「一太郎2012承」が出るようだ。(こないだ「一太郎2011創」を買ったのに、またアップグレードかい!)と言いたい話だ。一太郎は「2011版」になってずいぶんと変わった。インターフェースも一新され、ツールパレットやバーの形式も使いやすくなっている。

なのに、また、アップグレード…だと…?

もう何が何だか分からなくなった。2011版も使いこなせていないのに、また新しいものに変えるのはどうかな…。

ATOKにはずいぶんとお世話になっている。スマホにもATOKは入れているからなおさらだ。しかし、どうもこの文字変換システムは…馬鹿…?と疑うような変換をいつもしてくれる。まあPC版のATOKだけなので、いいかもしれないが。

それとジャストシステムに「ひと言」言いたい。


大量のセールス・メール送ってくるな!!


チラシの裏紙にもなりゃしない。

1941年12月8日

この日は、旧大日本帝国海軍がアメリカの真珠湾を奇襲した日である。同時に、フィリピンなどへの侵攻作戦を開始した日でもあった。

海軍にとって大いなる誤算であったのは、真珠湾には当時空母が1隻もいなかったということだった。これは、以降の海戦においてアメリカの既存空母が十二分の働きをしていたことからも明らかであった。アメリカ海軍太平洋艦隊の主力であった戦艦部隊を壊滅に追い込むことは出来たものの、探し求めていた空母はいなかったのである。

…といえば聞こえがいいだろうか。おそらく、当時の日本海軍ではそんな風に考えている幕僚や指揮官は少なかったはずである。ミッドウェイ海戦以降の時と違って、あれほど事前の情報収集に力を入れていた状態でさえ、「標的としていた」空母の所在をつかめないまま攻撃を行ったのはおかしな話になるからだ。要は、空母なんて最初からたいした目標ではなかったのである。目標は大艦巨砲主義の象徴たる戦艦部隊であった。

当時、太平洋方面で作戦中だったのは空母エンタープライズを中心としたW・ハルゼー中将麾下の機動部隊であった。この部隊はウェーク島への輸送に従事していたようであったが、運良く日本海軍の攻撃を逃れていたのである。それ以外の空母はアメリカ本土などにいた。ここでもし、アメリカの空母が1隻ないし2隻でも損害に遭っていたとしたら、反攻作戦の開始は少なくとも2年は遅れていたはずである。ハワイ諸島も日本軍に取られていたかもしれない。アメリカの空母はそれほど重要な存在であり、貴重な戦力であったのだった。

アメリカの既存空母は、レキシントン・サラトガ・エンタープライズ・ヨークタウン・ホーネットの5隻であった。後に、アメリカ海軍の太平洋艦隊はワスプの来援を南太平洋方面に受けるが、それまでにレキシントンが南太平洋で撃沈され、ヨークタウン・ホーネットなども撃沈された。ワスプ自身もすぐさま同じ運命をたどった。サラトガも損害を受けてまともに諸作戦には参加できていない。唯一、多くの海域で作戦可能だったのはエンタープライズただ1隻だったのだ。アメリカにとって、1941年~1943年までは、まさに危機的な状況の連続だったわけである。

日本の快進撃は翌年の5月まで続いた。これ以降は「虎の子空母」のうち4隻と、多数の艦載機・搭乗員を海戦で失う結果となり、南太平洋での制海権・制空権を確保することが出来なかったのだった。海戦当時は6隻いた主力の正規空母が、1942年6月以降はたったの2隻しか残らなかったのである。それでも、中型空母2隻と数隻の小型空母を交えて再編された日本艦隊は、主力の大半を失った連合軍にとっては「驚異の的」であった。

しかし、十分な制海権と制空権を取れていない日本軍にとって、ニューギニア方面での押しくらまんじゅう状態は維持するだけで精一杯だった。航空機の生産と輸送が追いつかず、それ以上に航空兵の補充が間に合わなかった。これは当時の日本が相当な背伸びをして戦争をしていたことによる。制度も思想も発展していなかったのだ。
1943年以降、アメリカは続々と本土からの来援を受ける。この年末には中部太平洋方面に新たな空母部隊を創設し、10隻を超えるエセックス級正規空母とインディペンデンス級軽空母、さらに多数の新型戦艦・巡洋艦以下の戦力を整えることが出来ていた。こうして日本は一気に押し切られる形で戦力を削り取られていったのだった。

だが、最も大きく戦力の差が開いたのが情報戦に関するものであった。
新型戦闘機の開発から前線の動きを予測する事に至るまで、日本は「事実を確実につかみ、その上に合理的な判断と実行を行うこと」と、「結果に基づく事実の収集を確実に行い,さらに次の展開を合理的に考えていく」という重要なステップを踏んでいなかったのだった。1942年以降の日本の新型戦闘機の開発は二転三転してなかなか定まることがなく、艦船の開発においても需要的に時期遅れのものが多く、余計に時間と資源ばかりが浪費されてしまった。

これは重要なことである。
この結末が、今年の福島第一原発の状態にまで続いていたと考えたならどうだろうか。日本は情報の収集と生かし方、リスクマネジメントなどの問題を戦後においても学んでいなかった、ということになるからだ。戦後、日本の教育では反戦と反核をまるで洗脳するかのように教えてきていたが、では、戦争とは何か、核とは何かを教えることはなかった。それが震災の大きな人災につながっているのは立派な皮肉である。

1941年12月8日から学ぶことは、まだまだたくさんある。日本はそれを再び見つめ直していかなければならないだろう。

長崎新幹線?

ずいぶんと前から長崎に新幹線を通そうという企画はあったと聞いている。今はフル規格の、要するにフリーゲージトレインの方ではなく、さらに一つ上のまっとうな新幹線を通そうというのだから驚きだ。まあ選挙対策ではないか?と言われるだけはある。

長崎新幹線の主たるコンセプトは、新幹線を通すことで、長崎市内への観光客の来客数を伸ばし、活性化を行うというものだった。もちろん土建屋は大きな仕事をもらうことだって見込んでいる。長崎は土建屋が多い県だから。
もう昔から言われていることだから驚きはしないが、こんなことが子供だましであることは、長崎ー福岡間が(新幹線を使って)在来線よりも15分程度しか時間短縮出来ないということからも分かるのではないか。
というよりもむしろ、高速道路無料化や一律低料金が叫ばれていた時代にあっても、こうした夢の構想が消えていなかったのには驚きを隠せない。そこまでして実現させたかったのには、もっと他に理由があるんではないかとさえ思ってしまう。

新幹線は夢の発想である。というより、地元民の私にとっては「ほぼ妄想」に近い。他にもっとすべきことや考えることがあったはずだと思う。
長崎県の主要産業は観光である。そのほかには農業や土建業くらいしかない。製造業、特に三菱系の重工業はあるけれど、それは長崎市内や佐世保市内でしか存在しない。おまけに、観光と言っても島原半島の一部か佐世保方面、後は長崎市内くらいしか有名どころがない。

私が長崎市内よりも福岡に行くのは、新幹線が通っているからではない。車を使って行けるような、色んなところがあるからだ。何だろう、交通の便が長崎市内は恐ろしく悪い。長崎市へのアクセスは便利になってはいるが、迂回路(別のアクセス方法・道路)が少なく、一本道が多いのが長崎の特徴でもある。それと、

た い し た も の が な い 。

長崎県の大きな特徴として、各市が「海」や「山間部」、さらには沿岸の細長い「回廊地帯」で分断されていることだろう。大村湾をぐるっと取り囲んで存在している各市は、まさにギリシャ時代の「ポリス」の様な存在だ。市によって方言がまるで違う。そのため、各市は基本的に「一本道」でつながっているような状態だ。しかも平野部が少なく、県央地区なら大村や諫早くらいが平野を持っているといえる位だ。このような特有の地形が交通の便を悪くしている一番の要因だし、我々だって他の市へわざわざ行こうなんて思わない理由でもある。だが、逆に言うと長崎はそうした自然の変化や資源を楽しむことが出来る県でもある。
海水浴場はたくさんあるし、見晴らしのいいところもたくさんある。それぞれの市が特徴的なもの(観光施設)を持っており、本来なら他県より観光客を呼ばなくったって、県内の各市だけで衣・食・住・観光の「自己完結」が出来ているはずなのだ。なのに人が出て行く。観光でも仕事でも。
それはなぜか?

何が問題なのかというと、交通の便よりも、観光をPRするための情報産業や県内産業の発達が大いに遅れているというのが問題なのだ。これが一つ目の問題。

夏になると、長崎県内の各市で花火大会のオンパレード状態になるのはあまり知られていないだろう。各市にある海水浴場の存在だって、県外の人はあまり知らないはずだ。それどころか、沿岸部のきれいな風景や山並みの存在だって、十分に観光資源としては生かしきれていない。蛍だって見ることが出来る。俺は見たことないけど。

長崎県は、観光資源の大半を長崎市内に集約させようとしすぎているように思え、それ以外を切り捨てているとしか見えてこない。長崎市内だけを観光の目玉にすればいいのか。とんでもない。
新幹線問題に関わることでもある、これが二つ目の問題。

長崎には、観光資源の他においしいものがたくさんある。農業立県を自称できるほどJAさんの力が…ゲフンゲフン…諫早干拓事業…ゲフンゲフン…あるはずだが、そうした食べ物の特色作りもずいぶんと遅れている。宮崎の東国原さんがやったように、県産品をガンガン売り出しにかからないと県のPRにならない。長崎市の田上市長もよくやっていると思うが、なんか方向性が違うのだ。彼は思想家にしか見えない。ここが三つ目の問題。

こうした問題点をどうにかしなくては、人が出て行くばっかりで来る人は少なくなるよwwwと言っているわけだ。新幹線は、まさにそれを助長する乗り物でしかないとww。

県はどうも国からの補助金を期待しているような気がする。新幹線を作ったのだから、見捨てるなんてしやしないだろう。赤字になったらどうにかしてくれるさ…なんて。
だってそうだよね。新幹線は土建屋に仕事をやるためでもあるんだから。それには大いなる観光収入があってこその話になるはずなんだけど、それに見合うくらいの反響が…あるかあ?

2011年12月7日水曜日

今年の驚きの自然現象

新燃岳の空震だろうか。今年の初め、東北大震災が始まる少し前に起きた噴火によって、九州北部全域は新燃岳の'雄叫び'を聞くことになった。私の住んでいるところは、宮崎県から海を隔てて結構離れているにもかかわらず、夜中に新燃岳からの空震を受けることになった。

もう心底びっくりした。突然窓ガラスが激しくガタガタと唸り出すのだ。それも夜通しガタガタと鳴っていた。

新燃岳は阿蘇山や普賢岳、桜島と同じ火山帯に属する。つまり、根っこは4つとも同じなわけだ。沖ノ鳥島も同じなのは意外に知られていないかもしれない。新燃岳の噴火前後に鯨(イルカだったか?)の大量打ち上げがあっていたから、もしかすると大きな地震が起きるかもしれないな~ってネットでは言っていたのだった。

そして、新燃岳も東北の大震災も近い将来に再来が起きるかも…といわれている訳だ。

夢の中でもたばこ

禁煙して、早半年以上が過ぎた。高校を出てからずっと喫煙してきたが、今年に入ってついに止めたのだ。止めたのはいいが、今でも禁断症状が出て困る。それは「たばこを吸っている」夢を見ること。何気ない夢だが、これはずいぶんと心に重くのしかかってしまう。

この夢を見るシチュエーションは決まっている。
いきなり、夢の中でたばこを吸っている場面が現れる。しかも、そのときの心理状態が至ってごく普通にたばこを吸っている状況なのだ。それでいて、夢がはっきりしてくるにつれて、(うはwやばい。おれたばこ吸ってるじゃん!)という驚きに変わる。そして焦り出すのだ。その後は(ま、一本だけならいいか…)という妥協に変わる。しかし、次の瞬間では(いや、一本だけでもやばいだろう…)という気持ちに変わっていく。ここで夢の終了となり、なんだか奇妙なようでいやな夢を見たような気分になる。
この夢は何かの深層心理なのではないかと思うけど、それはいったい何なのだろうか。

あちこちのサイトや掲示板の書き込みを見ると、それが「禁煙の段階」の一つだってことを書いてある場合が多い。つまり、脳が最後のあがきを見せているということらしい。それが抜けるて初めて'脱煙草宣言'が出来るのだろうか。いやはや、何とも長いステップだ。

ストレスって何だろうか?

最近のテレビ番組で、「腰痛の原因は腰ではなく、脳の中や原因不明のものによるものである。」という肩すかしを食らったような情報を聞いた。何でも、大本の原因はストレスにあるというのだ。確かにストレスは精神的にに大きなダメージを体に与えるだけでなく、様々な疾患の原因にもなる。心疾患、高血圧、先述した腰痛、さらに精神的な疾患などだ。

ストレスの研究そのものもかなり進んでいるとは思うが、未だに脳の中身についての研究が進んでいないように思える。いや、実は驚異的なスピードで進んでいるとは思うのだが、見た目には「停頓している」様にしか見えないのだ。だって、腰痛の原因はストレスの他に不明なものなんて言われると、(エエー!?まだ解明してなかったの?)と首をかしげてしまいそうになるからだ。

こういったことは、ストレスそのものの研究というより脳の中についての研究が先行していることだろうが、未だに多くの謎を抱えているようだ。その多くは「タンパク質」の種類の解明なども含まれているが、今後数年間で大きく判明していくことだろう。推測だが、現在の医学や心理学の常識が大きく覆されてしまうのではないかとさえ思ってしまう。

ストレスってタンパク質なのか?それとも電気信号か何か?いったい何なのだろうか。

衆院選の行方

先日、大阪では橋本氏が市長選で前職の平松氏を破って当選した。平松陣営の組織票は恐るべきもので、選挙戦前の下馬評では橋本氏の圧勝とも言われていたが、それも選挙中になると"伯仲"の様子さえ見られるようになった。
また、「府知事選」でも維新の会の苦戦が報じられることもあった。松井氏は橋本氏に比べてネームバリューがなく、存在感すら薄いような人に見えた。それに対し、現職市長の倉田氏などは周囲の了解と支持を取り付けたということで、こちらも"組織票の堅さ"がものをいうだろうと言われるようになっていた。しかし、結果は維新の会がダブル当選を果たし、維新の会が総合的な勝利を収めることになった。

維新の会は早速中央の政界にもコネクションを持とうとする動きが見られてはいるが、橋本氏によると「向こうが協力的であれば」という条件付きでの接触のようだった。当然ながら、意見を大きく異にすれば対抗馬を衆院選に出すということさえ、会見では発言していた。
こうした動きに対し、与野党の動きは維新の会と真っ向から対立した。共産党でさえそうだった。みんなの党や石原都知事などは、最初から維新の会を支援していた。おそらく、両方とも中央にあまりしがらみがない上、維新の会との利権上の対立もなかったからだろう。しかし、そうしたことがなくとも、選挙前や選挙後の様子から見て「維新の会」に対するマスコミ総動員体制下でのネガキャンはすさまじいものだった。

与野党の連中は、本当に平松氏が勝てると思っていたのだろうか?
確かに維新の会と対立する候補者連中には強力な支援と組織票があった。しかし、大概は維新の会が勝つだろうと言われていたのだ。まあ、利権上の問題から対抗せざるを得なかったのだろうが、最終的には与野党とも大きなピンチを迎える羽目になってしまった。

政府与党は、この大阪での選挙結果を見てこう言った。
「衆院選など、中央での選挙などには影響がないものとみられる。」と。
これは強がりとはいえ、とんでもない発言だったと思われる。既存政党がすべて拒否されたという選挙結果を見て、衆院選に影響が出ないとはよく言えたものだ。しかし、与党としてはそう言わざるを得なかったのだろう。だからといって選挙が有利に働くわけではないのだけれど。

2年後の衆院選では、維新の会ほか、無所属からの「新たな政党」の旗揚げ活動が一般的になるのではないだろうか。あるいは、既存政党からの離脱者による新政党の旗揚げであるとかも含めて。
現在のところ、与野党の支持率は維新の会に大きく水をあけられているように見える。これではなんのための既存政党なのか分かったものではないが、新たな勢力の勃興は、古き良き「腐った」勢力を一掃するという古典的な法則でもある。すべからく、これも運命なのかもしれない。
次の衆院選挙はまさに「群雄割拠」の時代を迎えるような気がしてならない。

2011年12月5日月曜日

ブログへ初投稿

"CVE"とは、第二次世界大戦中のアメリカやイギリスで大量に量産された改装空母(Escort Carrier:護衛空母)のことだ。いくつかの型式(クラス)が存在したものの、最終型式の"コメンスメント・ベイ"級では、量産開始時期に終戦を迎えた。
"カサブランカ"級は、そんな数あるクラスの中でも大量に生産され、活躍した型式の空母だ。
この空母は、戦場の場所や作戦の種類を選ばずに投入された。上陸作戦で、海戦で、輸送で、そして空襲や対潜作戦などで、まさにマルチな活動をした。さらには戦後の強襲揚陸艦のテストベッドにもなっている。

このブログは、そんな空母のように多数のジャンルでの活動や、様々な情報を見つけたり、問題などを考える様なオールジャンルのものにしたい。名前の由来はそういうことだ。

Windows11

  Windows11のinsider preview版をWindows PCに入れてみた。これで2代目だが、感想としては使いやすさはあるが、真新しさは感じられないというもの。確にUIなどは刷新されているが、Windows10を簡略化したものっぽい感じだ。 おおよそ「MacOSみ...