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2025年2月20日木曜日

beats Pro2の件。

  Amazonの評価を見て、買うのをためらっている。全体的に改修されてはいるが、前versionと比べて一長一短あるみたいだ。

心拍数モニターについても、『これ、いらねんじゃね?』と感想が。まあ要らんわな。

で、別のメーカーのヤツを物色中。

どうしようかな。前のバージョンを再度買うか。

それでも高いは高いが、物はしっかりしている。

2011年12月12日月曜日

ブラックホーク・ダウン

それは、短時間で終了するはずの作戦だった。
1993年10月3日に行われたソマリアの首都における特殊作戦は、完全な失敗であり敗北であった。作戦のコードネームは「アイリーン」。この作戦にはアメリカ陸軍の精鋭部隊が投入されたにも関わらず、さらに、作戦の戦闘ゾーンは「町の一角」に限定されていたにも関わらず、アメリカ軍は作戦の遂行をしくじったのだ。

リドリー・スコット監督作の映画、「ブラックホーク・ダウン」では、この作戦(ソマリアの首都であるモガディシュの戦闘)を実によく描写しているように思えた。wikiにはその経緯が詳細に記載してあるが、私が言いたいのは、戦闘そのものの描写の仕方よりも、登場人物が語る会話の内容に妙なリアリティを感じたのだ。

ソマリアの内戦に関与したアメリカは、ここでソマリアの人々に相当な被害を与えていた。(アメリカ陸軍のデルタやレンジャーが戦闘に参加する以前の)海兵隊がソマリアにいた頃から、ソマリアの人々はアメリカに対して憤りを通り越した恨みの感情を抱いていた。確かに、アメリカ軍が難民救済のために「ある程度の」有効な働きをしたことは間違いのないことだろう。だが、数々の戦闘によってソマリアの人々の多くが殺害された。中には、アメリカ軍に協力しようとしていたソマリアの重要人物でさえ殺された。

だが、それ以上に大きな問題があったのだ。

アメリカの現代における戦争を見渡してみると、太平洋戦争から現代の戦争に至るまで一貫して言えることがある。相手をなめすぎていることと、あまりに一方的な主張・見方が多いことだ。

太平洋戦争の初戦では、彼らの予想に反して日本の攻勢が強力であったために一方的な敗北を蒙った。朝鮮戦争では、北朝鮮軍の攻勢に対して初期の対応をしくじり、初戦を敗北の記録で飾った。中国軍の参戦に関しても余裕をかましていたが、その攻勢によってあっという間に不利な状況に追い込まれた。ベトナム戦争では言うに及ばずである。戦力の逐次投入やテト攻勢前までの余裕っぷりは広く世に知られているとおりである。イラク戦争やアフガニスタン戦では、事後の対応が大幅に甘かった。というより作戦構想そのものが甘かったわけだ。

いずれの戦争の場合でも、アメリカの相手は「ならず者国家」であり、「自由と繁栄の正義国家に敵対する悪の国家」なのであった。

「ブラックホーク・ダウン」のスコット監督は映画の作成と公開をするにあたって、「味方」であるはずの自国政府や軍と戦わなければならなかったはずである。映画では、戦場における兵士たちの英雄的な行為を多く取り上げている。それと同時に、彼らと敵対する民兵組織が「殲滅されるべき」対象であったことを示唆するような表現も入っている。だが、それは監督にとって本意ではなかったようだ。

ソマリアの実業家・アット氏:「(ガリソン)将軍。アメリカはソマリアへ来るべきではなかった。これは我々の戦争なのだ。」
ガリソン少将:「これは戦争などではない。虐殺だ。」
この短いやりとりの中に、アメリカの現状認識に対する錯誤がほのめかされている。本来、戦争には「正義」も「悪」もなければ、「人道的な戦争」や「非道な虐殺」なんていう言葉分けも存在しない。アット氏はその点を突いたわけだが、「映画の中での」ガリソン少将には通じなかった。

これらの立場をさらに補強する上でも別の会話を挙げてみよう。
作戦前の夜、エヴァーズマン軍曹が仲間内に語った話にはこうある。

「彼ら(ソマリアの人々)には自由も教育も不足している。我々に出来ることは二つ。実際に助けに行くか、テレビの前でただそれを観ているかのどっちかだ。」

軍曹の考えは立派なものだったが、そもそも、そうした考え方にソマリアの人々が賛同してくれるかどうかは非常に疑問なのであった。

マイク・デュラント准尉が民兵に捕獲され、捕虜として連行された後に民兵と話をしている場面がある。デュラント准尉に語りかける民兵のリーダーはこう語る。

「アイディード将軍が死んだからといって、この国がよくなると思うか?」

ソマリアの内戦は、利権と権力への欲望が渦巻いているドロドロ状態の派閥争いである。もちろん、部族間の「血で血を争う」殺し合いという面も大きいだろう。こういったことに対して、アメリカの作戦構想はおろか、その大元となる「考え方・発想」そのものが、そうした現状に合っていないことをこの映画では指摘しているのだが、監督の力ではその表現を会話の中でしか行えなかったことに、残念な気持ちがしてならない。この映画はずいぶんと多くのシーンがカットされているように思える。会話の展開が急なところがいくつもあって、不自然に見えるのだ。もちろん脚色もそれなりになされている。

ちなみに、「アイリーン作戦」の展開はWWⅡ時の「マーケット・ガーデン」作戦を想起させるものがある。どちらも作戦の展開は一本道であり、物事が万事うまくいった時のことしか考えていなかった。さらに、味方の貧弱な装備に比べて敵の勢力は優勢だった。そして、そのどちらも「すぐに終わる」はずの作戦であったのだ。

リアル国家であるアメリカの戦争観・国家間に比べたら、架空の世界である「機動戦士ガンダム」のそうしたものに対しての見方の方が、より健全であるとさえ思う。そして、アメリカはそのツケを「ブラックホーク」数機分以上の税金と命で支払い続けているのだ。

2011年12月8日木曜日

1941年12月8日

この日は、旧大日本帝国海軍がアメリカの真珠湾を奇襲した日である。同時に、フィリピンなどへの侵攻作戦を開始した日でもあった。

海軍にとって大いなる誤算であったのは、真珠湾には当時空母が1隻もいなかったということだった。これは、以降の海戦においてアメリカの既存空母が十二分の働きをしていたことからも明らかであった。アメリカ海軍太平洋艦隊の主力であった戦艦部隊を壊滅に追い込むことは出来たものの、探し求めていた空母はいなかったのである。

…といえば聞こえがいいだろうか。おそらく、当時の日本海軍ではそんな風に考えている幕僚や指揮官は少なかったはずである。ミッドウェイ海戦以降の時と違って、あれほど事前の情報収集に力を入れていた状態でさえ、「標的としていた」空母の所在をつかめないまま攻撃を行ったのはおかしな話になるからだ。要は、空母なんて最初からたいした目標ではなかったのである。目標は大艦巨砲主義の象徴たる戦艦部隊であった。

当時、太平洋方面で作戦中だったのは空母エンタープライズを中心としたW・ハルゼー中将麾下の機動部隊であった。この部隊はウェーク島への輸送に従事していたようであったが、運良く日本海軍の攻撃を逃れていたのである。それ以外の空母はアメリカ本土などにいた。ここでもし、アメリカの空母が1隻ないし2隻でも損害に遭っていたとしたら、反攻作戦の開始は少なくとも2年は遅れていたはずである。ハワイ諸島も日本軍に取られていたかもしれない。アメリカの空母はそれほど重要な存在であり、貴重な戦力であったのだった。

アメリカの既存空母は、レキシントン・サラトガ・エンタープライズ・ヨークタウン・ホーネットの5隻であった。後に、アメリカ海軍の太平洋艦隊はワスプの来援を南太平洋方面に受けるが、それまでにレキシントンが南太平洋で撃沈され、ヨークタウン・ホーネットなども撃沈された。ワスプ自身もすぐさま同じ運命をたどった。サラトガも損害を受けてまともに諸作戦には参加できていない。唯一、多くの海域で作戦可能だったのはエンタープライズただ1隻だったのだ。アメリカにとって、1941年~1943年までは、まさに危機的な状況の連続だったわけである。

日本の快進撃は翌年の5月まで続いた。これ以降は「虎の子空母」のうち4隻と、多数の艦載機・搭乗員を海戦で失う結果となり、南太平洋での制海権・制空権を確保することが出来なかったのだった。海戦当時は6隻いた主力の正規空母が、1942年6月以降はたったの2隻しか残らなかったのである。それでも、中型空母2隻と数隻の小型空母を交えて再編された日本艦隊は、主力の大半を失った連合軍にとっては「驚異の的」であった。

しかし、十分な制海権と制空権を取れていない日本軍にとって、ニューギニア方面での押しくらまんじゅう状態は維持するだけで精一杯だった。航空機の生産と輸送が追いつかず、それ以上に航空兵の補充が間に合わなかった。これは当時の日本が相当な背伸びをして戦争をしていたことによる。制度も思想も発展していなかったのだ。
1943年以降、アメリカは続々と本土からの来援を受ける。この年末には中部太平洋方面に新たな空母部隊を創設し、10隻を超えるエセックス級正規空母とインディペンデンス級軽空母、さらに多数の新型戦艦・巡洋艦以下の戦力を整えることが出来ていた。こうして日本は一気に押し切られる形で戦力を削り取られていったのだった。

だが、最も大きく戦力の差が開いたのが情報戦に関するものであった。
新型戦闘機の開発から前線の動きを予測する事に至るまで、日本は「事実を確実につかみ、その上に合理的な判断と実行を行うこと」と、「結果に基づく事実の収集を確実に行い,さらに次の展開を合理的に考えていく」という重要なステップを踏んでいなかったのだった。1942年以降の日本の新型戦闘機の開発は二転三転してなかなか定まることがなく、艦船の開発においても需要的に時期遅れのものが多く、余計に時間と資源ばかりが浪費されてしまった。

これは重要なことである。
この結末が、今年の福島第一原発の状態にまで続いていたと考えたならどうだろうか。日本は情報の収集と生かし方、リスクマネジメントなどの問題を戦後においても学んでいなかった、ということになるからだ。戦後、日本の教育では反戦と反核をまるで洗脳するかのように教えてきていたが、では、戦争とは何か、核とは何かを教えることはなかった。それが震災の大きな人災につながっているのは立派な皮肉である。

1941年12月8日から学ぶことは、まだまだたくさんある。日本はそれを再び見つめ直していかなければならないだろう。

2007年2月12日月曜日

ベトナム戦争を決した勝利の道

 1961年から1975年にかけて北ベトナム(以下北越)が行った非正規部隊(以下ベトコン)によるテロやゲリラ戦は恐るべき効果をもたらした。

具体的には、南ベトナム(以下南越)南部に対する北越のゲリラ活動は軍隊だけでなく、住民とりわけ農民に対しても行われ、彼らを恐怖のどん底に陥れただけでなく南越全域にわたり治安の不安定化を常態化させることに成功したのである。

更に都市部においても爆弾テロや要人襲撃などを果敢に行い、下は地方の農民から上は政府要人に至るまで常に恐怖の揺さぶりをかけたのである。

このため戦争の全期間を通じ、アメリカ軍や南越政府軍はかなりの部隊を南越中部以南に拘置せざるを得ず、前線では常に兵力の不足と大規模な戦闘を長期間行う事が出来なかったのである。

では、北越がこの様な非正規戦を大胆かつ広範囲に、しかも終戦までの間仕掛けられたのはなぜか。

それは二本の兵站線、ホーチミンルートとシアヌークルートの存在である。

ホーチミンルートとは北越からラオス、カンボジアの国境線を抜けて南越南部~サイゴン近辺に至るベトコンの陸の補給路である。一方シアヌークルートとは、北越から海上を経てサイゴン南部のメコンデルタ(後にカンボジア南部へ移動)~サイゴン近辺に至るまでの言わば海上輸送ルートである。

特に前者は単なる補給路ではなく弾薬物資の集積所や病院、各種施設を備えた言わば線条の前線基地であった。

双方の輸送量は戦争の全期間を通じて6:4の割合だったと言われる。

北越ではこの二本の大動脈を戦争初期から整備しており、ベトナム沿岸部を主戦場とする北越正規軍の助攻役として、ベトコン部隊の南部への展開を進めていた。

一方アメリカ軍や南越政府軍でもその存在に気付き、これを潰すべく戦争の全期間を通じて大規模な空爆や、70年代に行われたラオス・カンボジアへの越境攻勢などを行って潰しにかかった。

しかしアンナン山脈の山岳地帯、鬱蒼と茂るジャングルはこうした空爆の効果を最小限に止どめた。更に北越の土木修復力は人海戦術を使って短時間で破損を回復をさせる事が出来た。更にラオス・カンボジアへの作戦は国内世論の反感から至極短期間でしか行えなかった。

こうしたことから北越はベトコンへルートから無尽蔵に物資を補給し、部隊が消耗すればルート付近で再編するなどして、自由気ままに南越全域を攻撃出来たのである。

文字通り勝利への道であった。

【追記】
ホーチミンルートが頻繁に空爆や陸上からの攻撃に晒されていたのに対し、驚く事に海上輸送メインのシアヌークルートはそこまで攻撃を受けなかった様だ。

それはベトナム中部沖に第七艦隊を常時貼り付けていたアメリカの(まさか…)の心理の裏を見事にかいた作戦だったのだ。

しかし後に陸揚げ場所をメコンデルタ地区からカンボジア南部へ移さねばならなかったのはさすがにアメリカの河川警備部隊が効果を発揮していたためである。

更にアメリカ軍のカンボジア侵攻の目標の一つには、こうした輸送路を押さえることであったから、北ベトナムとしても、ここに60年代後半からアメリカ軍に長期間居座り続けられていたら相当困ったはずである。

結果は同じであれ、戦争は長期化していたことは間違いないだろう。

2007年2月11日日曜日

海軍『誰にも言えなかったんです』

 上手くいった、成功したと報告した後、実はそれがかなり失敗だったことを知り、なかなか言い出せない内に事はドンドン進んでますます言い出しにくくなった。結果として最後に失敗したことを告げたが最悪な結果を招いてしまった…ということは誰にでもある事ではないだろうか。

では国家が、軍がそんな失態を招いてしまったらどうなるのか…そんな実例が太平洋戦争中に起きたのだ。

1944年十月、W・ハルゼー大将率いる第38機動部隊が台湾を襲った。十隻以上の空母を基幹とするこの艦隊は、マリアナ海戦後いかなる海上に存在するどの国の艦隊をも遥かに凌ぐ最強の打撃力と防御力を持った艦隊であった。

その際日本海軍では、かねてから日本近海での決戦を想定した大規模な航空隊を南九州や台湾に展開、その時を待っていた。その数は優に三百機を越えていた。そして十月十二日、日本は十五日までの約三日間に渡る航空機による攻撃をアメリカの艦隊に対して連続的に行った。

日本にとって、この攻撃は海軍だけでなく陸軍の航空隊も参加しての、文字通り『総力をかけた』戦いであった。

日本側では連日の攻撃で帰還後に報告される戦果は華々しいもので、それを総計するとアメリカの第38機動部隊は空母を全て失い、ほうほうの体で逃げ帰っているものと判断された。そしてその戦果はそのまま国内で大々的に宣伝され、天皇陛下からのご褒めの言葉を戴くなどお祭り騒ぎにまで発展したから大変な事になった。

更に最終日の十五日、それを裏書きする様に残敵と思われるアメリカの巡洋艦と少数の護衛艦船を日本近海で発見。日本海軍では直ちに『残敵掃討』を発令したが、翌日再びアメリカの機動部隊が日本近海に存在していたという報告を受けて追撃を中止した。

問題はここからである。海軍は正式に陸軍にこの事を知らせていなかった。

つまり言えなかったのだ。

海軍としては、陸軍ともに多数の犠牲を出し、更に国内でお祭り騒ぎにまで発展したこの戦果が実は誤りでしたとは、おいそれとは言えなかったというのだ。

原因はパイロットの能力不足や偵察能力の不備と、戦果確認を徹底して怠ったためだが、それは後々判明した事である。

しかし陸軍ではその戦果を元にフィリピンでの決戦を企てていて、兵力の転用や輸送、更には作戦を実行に移してしまっていたから目も当てられないこれから起こる悲劇の結末は自ずと明らかだった。
それは明らかに亡国を招いたのである。

2007年2月10日土曜日

白頭山と東北工程

中国東北部の歴史を巡って、中国と韓国の歴史論争が続いている。

報道などであまり話題にはならないが、ネットや学会などでは竹島に負けず劣らず激しく火花を散らしているのだ。

そもそも東北工程とは中国東北部~朝鮮半島北部にかけて存在していた渤海、高句麗、扶余などの国家の歴史を中国に帰属させるというものだ。そのために国を挙げての歴史調査から学説の確定にいたるまでの作業の事を指す。

これに対して直接国境を接する北朝鮮ではあまり異議を唱えていないが、韓国ではこうした動きに『高句麗を始め渤海や扶余などの国家は我らの歴史的範疇だ』と激しく異を唱えているのだ。

こうした論争は学術的には民族の帰属問題の他、歴史的事実をどの様に捉えるかという問題となるが、実利的に見ると『歴史的領有権』という厳然たる国家利益に変わるのである。

これを過去の学術上の問題と捉えてはならない。現在日本でも中韓と揉めている竹島や尖閣諸島の領有問題は、こうした論争の延長線上にあるのだ。

中国と韓国で言えば北朝鮮の領有帰属がそれにあたる。

韓国にとって一番のマイナスは歴史的事実を記した書簡が大変乏しく、保管状態もあまり良くない事である。
よって日本や中国との歴史的事実の争いは常に相手側の歴史記録を頼りに学説を立てねばならない事である。

そうした中で、北朝鮮や韓国など半島の人々の発祥の地とされる白頭山がほぼ完全に中国の歴史に組み込まれようとしている。

白頭山は当然北朝鮮の領有地もあるが、大部分は中国側が掌握している。その結果、最近中国では次期冬期五輪の候補地としてこの地を取り上げ、『白頭山』の名称を完全に中国側の呼称である『長白山』という呼び名で国際的に広めつつあるのだ。更には『長白山ブランド』なるものも作り出した。

それだけではない。吉林省にある白頭山周辺の学校の名称を長白山に統一させた上、白頭山頂上にあった韓国系ホテルに立ち退きを求めるなど、次々と現実的な行動を取り出している。

こうした動きに対し、韓国政府内では経済や北朝鮮問題を中国にかなり依存している為にこうした関係にヒビが入るとの懸念のせいもあって、なかなか対抗策を打ち出せないのが現状である。

私的に言えば、この問題は中国の勝ちであるがどちらの歴史にも属さないと思う。まだまだ未解な部分もあるが民族的にも政治的にも別々の国家だからだ。

日本もこうした問題を注視しておく必要ありだ。

職場PCのWindows11 24H2アップグレードへの道のり

  職場のPC をWindows11 24H2へアップグレードする道のりが、意外と険しい。以前は23H2へのアップグレードを難なくこなせたが、今回はそうもいかないようだ。 YouTubeには色々とアップグレードの仕方が紹介されている。そこで、いくつかの方法を試してみた。 試しに、...